素晴らしい志度の町並みと瀬戸内海を眺めながらの休憩も終え、
『間川三十二勝』で最も標高ある史跡へ登っていくのです!
この写真の山道横に生えそろえられている木々はすべて桜の木。春になると大変綺麗なそうで、お花見の穴場として訪れる人も少なくないとか。
さて、近藤さんと登りつづけてたどり着いたのが、が間川三十二勝で最も高い場所にある『不可識峯』。
2メートル強あろうかという石棒でテッペンには宝珠とその下には9つの線が刻み込まれています。
実はこの不可識峯は竹林上人が自分の死が旧暦の6月6日であると予言したあとに、これも自らが作りこの場所に置いたんだそう。
以前は志度の町を見渡せたというこの高い場所で竹林上人は自分のかわりとして不可識峯を置いたんでしょうね。

他にも、満月を彫り込んだ『月輪巌』
なんと前からも後ろからも回文になっているという竹林上人自身の歌を彫り込んだ『観我巌』
と、間川は竹林上人の「アート作品」がある庭園美術館でもあるのです。
さて、そろそろ「間川三十二勝」の旅も終わりです。
雄大で美しい山道を下りながら、世捨て人のようにこの間川三十二勝を作り残りの人生を捧げた竹林上人のことを考えます。
先ほど、紹介した『
観我巌』にはこんな歌が記されていました。
『やとしぬる このたまもすら なかりけり かならすも また のこるぬしとな』
竹林上人の死生感を読みとることができます。
自分の死ぬ日を予言し、水だけしか口にせずに予告どおり旧暦6月6日に息を引き取った竹林上人。
「竹林上人は死ぬことが楽しみだったのでしょうか?」と私は近藤さんに問いかけます。
「それはわからないけど、間川三十二勝を回ったり竹林上人に人柄を知ると、とにかく人生を楽しんでいたようには思う。私たちも悔いの残らないような人生を送って、楽しかったと思いながら死にたいね。」
私には自分がいつ死ぬかなんて予言することは出来ないですが、もしかしたら明日なくなったしまうかもしれない命。だったら竹林上人のように自由に楽しく今の世の中を精一杯生きていかないといけないですね。新緑の間川の下、そんな風に思う私なのでした。
という訳で間川三十二勝歩きも終わりです!約一時間半のほんのわざかな小旅行でしたが、自然は美しく、1つ1つの名勝史跡神秘的でふいに人生を考えさせられるとうな不思議な場所となりました。志度の町の近くにこんな素敵な場所があったんです!
さて、間川三十二勝を巡ったあそ達メンバーが最後に向かったのは、間川三十二勝から車で2,3分ほどの竹林堂。
こちらのお堂には、これも竹林上人が自分の死を予言してかが大きな一枚石を削りだして作った仏様が当時のままの姿でお奉りされています。
この見事な仏様の前にちょこんと座ると、竹林上人がまるで目の前に現れたかのように大変優しい目で私達を見つめて下さるのでした。
posted by sanuki-asobinin at 21:26| 香川 ☀|
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