2012年09月19日

【海女の玉取り物語】志度寺〜真珠神社〜海女の墓 摂家藤原氏の母を訪ねて


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9月29日、志度寺にておへんろつかさの会主催のお月見イベント『ルンルン♪名月と志度寺無染庭』が行われます。

そんな志度寺には
藤原道長を代表する日本の歴史に深く関係する藤原摂関家。
その母とそれにまつわる伝説が今も志度には眠っているのをご存知でしょうか?

悲しい伝説はこう伝えられます…
それは『海女の玉取り物語』…

海女の玉取り物語は国の重要文化財の「志度寺縁起」第二巻『讃州志度道場縁起』に記されている伝説です。
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こちらは志度寺の本堂に保管されている「志度寺縁起」のレプリカ


それはおよそ1300年前…
大化の改新を成し遂げた藤原鎌足の息子・藤原不比等は自分の妹を、現在の中国にあたる唐の高宗行程に嫁に出し、高宗妃なった妹から宝玉『面向不背の玉』を1つ賜り、日本に持って帰っていました。
しかしその宝玉は途中で竜神に奪われてしまいます。

親睦の証として宝玉を賜ったにも関わらずそれをなくしてしまった不比等。
彼は身分を隠し、なんとかその宝玉を取り返すべく今の志度の地にとどまります。
そこで出会ったのが、現在の志度の「天野」地区の由来にもなった漁師一族の娘の海女。
二人は恋仲になり、子ども(房前)を生みます。しかし、幸せは長くは続かず、不比等は本来の目的である龍神からの宝玉の奪取のことを海女に伝えます。

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すると海女は、自分の命と引き返えに宝玉を奪ってくるだから、房前を藤原家の正式な跡取りとして欲しいとお願いし海に飛び込むのです。
龍神との死闘の末、海女は自分の胸を切り裂いて、乳房に宝玉を隠し持ちなんとか志度の真珠島に戻ってきたのです。
しかし、海女は不比等に玉を渡すとそのまま静かに息を引き取りました。

それから房前は藤原家を嗣ぎ、若干13歳で大臣となっていた房前は東大寺建立のため全国を行脚していた行基について志度に訪れ、母の死の理由を知ります。

そして、房前は母である海女を偲んで志度寺の堂を広く立て直し、そこに千基の石塔を建てたと言い伝えられています。
房前はその後も活躍し、藤原家のその後の栄華へとつながっていくわけとなります。

というのがいわゆる『海女の玉取り物語』です。


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海女が取り返した宝玉『面向不背の玉』はその後は無事に興福寺に届けられ、現在は滋賀県の琵琶湖に浮かぶ竹生島の宝厳寺におさめられています。

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海女が息を引き取った真珠島では現在でも真珠神社としてさぬき市志度に残っています。
10月6,7日に行われる多和の秋祭りの次の週末には、志度寺にてお経があげられています。

藤原家が活躍した平安時代は父方の血筋より母方の血筋が重要とされた時代。
はっきりとした素性のしれない海女のことは藤原家の家系図には記されておらず、歴史の表舞台にその名を刻んではいません。しかし、平安末期のプリンス、後白河天皇が今様の和歌を記した「梁塵秘抄」に志度という地名が登場する程、朝廷では志度はなんらかの理由で名の通った土地だったことは窺い知ることができます。

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志度寺の薬師堂の瓦には竜神とその竜神から玉を奪って逃げる海女の姿が…


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志度寺を南駐車場から入ってすぐにあるのが『海女の墓』
今は千基とはいいませんがかなり数のお墓が未だに残されています!



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そしてその隣には近世になり、関ヶ原の戦いの後に高松藩を納めた生駒親正のお墓もあります。
生駒家は本来摂家藤原氏の出ということもあり、親正は死後は高松の弘憲寺のお墓の他に、自分の母方の祖となる海女の墓の隣にお墓を建ててほしいと遺言を残します。
その後生駒家は跡取り騒動でお家取り潰しとなり讃岐の国をあとにしますが、その後藩主となった松平頼重は親正の想いを知ってか知らずか、志度寺の本堂、焔魔堂、奪衣場堂、仁王門を新しく建立し、志度寺の再整備に尽力しました。


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この二つのお墓を訪ねると掃除が行き届き、いつでも綺麗なお花が手向けられます
御年86歳のこのおばあちゃんが15年前からほぼ毎日一人で行っているんだそう!
『興福寺のように、全国津々浦々に藤原家の父方の祖を奉るお寺やお墓は多いけども、「海女の墓」のように藤原家の母方を奉ったお墓というのは珍しい。』
そんな誇れるお墓がが荒れていては申し訳ないと想いで、おばあちゃんは毎日掃除をしているんだそうもうやだ〜(悲しい顔)

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海女のお墓は柵がされていて中に入ることはできませんがすぐ近くまで行って拝むことはできます。


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お墓の傍らには備えられているかのように丸い白子石がぽつんと置かれています。
この石は以前からあったそうで、もしかしたら海女を偲んだ房前がお墓を作った際に母が守った玉に見立てて捧げたものなのかもしれませんね。

海女の我が子と母の想いを感じることの出来る海女のお墓や真珠神社に貴方も訪れてみてはいかがでしょうか?



【緊急告知】
11月18日、ご紹介した志度寺、真珠島、海女の墓だけではない海女の玉取り伝説の史跡を巡る『ルンルン♪海女の玉取伝説を歩く』が行われます!
おへんろつかさのガイドの元、海女を巡れるめったにない機会です!
どうぞお見逃しなくるんるん
詳しくはさぬき市観光協会HPまで→ルンルン♪海女の玉取伝説を歩く






志度寺
香川県さぬき市志度1102 【地図
TEL:087-894-0086



posted by sanuki-asobinin at 18:33| 香川 ☀| Comment(0) | レジャー・アート・写真 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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