明治の終わり 東かがわで産まれた
砂山房太郎氏が 高松で修行をし、この志度の
門前町で 下駄産業を始めました
当時は 雑木で下駄を作っていましたが、日本一の産業を・・・との
思いから、価値ある 桐の木に注目し、日本一の桐 新潟の小千谷市の桐を
使い始めて 以来・・・
大切に守られ 受け継がれてきた 伝統の品 「桐下駄」


今日は そんな桐下駄の歴史にふれてみたいと思います


昭和の良き時代の懐かしさが 漂う桐下駄工場
「山西商店」さん
「桐下駄工場が始まった頃、この辺りはまだ海。
当時は 電車の沿線沿いに 多く桐下駄工場が立ち並び 志度を挙げての
とても盛んな産業だった。桐下駄職人は300名ほどいた。
おじいさんくらいの年齢の人で 『昔は下駄職人やったんや・・』 といわれる方も
実は多いんです」
と3代目のご主人 山西さん

(十能という道具で下駄の歯の間をすく、「すきあげ」という作業をされています)
土地の整備に伴い 今の店舗に移動された今もなお、桐下駄作りの大切な部分は
手作業で行い、大切に 伝統を守られています 昭和30年代には 機械も導入され
ましたが、職人の手が添えられる機械たちもまた、 長い時間を超えて今なお動き
続けています




特に有名な桐の産地でもない志度。
・志度が門前町として栄えていたこと、
・丁稚奉公に来られる人材が十分確保できるまちであったこと、
・弟子を囲い込まず、どんどんと独立させた結果、志度で開業する者が多かったこと
・京阪神という大きな商業地が近くにあり、さらに競合する地域が他になかったこと
があげられます。
さらに協同組合を立ちあげて、志度桐下駄の規格をつくり、どの工場やどの職人さんでも、
同じ 質の良い桐下駄がつくれるようにした事から、まじめに働く下駄職人を守っていたのも
素晴らしいアイデア。
中にはたくさんの穴があり、空気を多く含むため 足で履いた時 ほんのりと 暖かいのです。
その分、吸水性も高く 長い間履いていても ベタベタ しにくいのです。
また、焼いて色を付けた後にぬる「いぼたロウ」も、とても貴重なもの・・・
「いぼた」という木にやってくる虫「いぼたむし」が出す繊維「いぼたロウ」は
桐下駄独特のやわらかで上品な艶やかさを産み、
ニスのように吸収性を失うことがない天然の素材。
さらに協同組合を立ちあげて、志度桐下駄の規格をつくり、どの工場やどの職人さんでも、
同じ 質の良い桐下駄がつくれるようにした事から、まじめに働く下駄職人を守っていたのも
また、焼いて色を付けた後にぬる「いぼたロウ」も、とても貴重なもの・・・
これぞ、 日本の守るべき伝統の逸品ですね・・・

今は嗜好品となってしまった 下駄・・・しかし、一度履くとその感触
心地よさから、虜になってしまう人も多いそうです
また、山西さんでは 桐下駄のメンテナンスも ずーと行って下さるので、
鼻緒を取り替えたり、下駄裏のゴムを取り替えたりしながら
大切に履かれるのだそうです




香川の保多織や京都の錦織、フランスのシルクや山西さんお勧めの
印伝柄など、自分の好きな鼻緒を選んで作ってもらうことができます
オフシーズンの秋には、好きな布を持ち込んで自分だけの鼻緒をオーダー
できるサービスもされる予定だそうです
自分だけの オリジナル・・・・ ステキですね
暑い夏・・・ 浴衣に着替え 桐下駄を履き 扇子で扇ぎつつ
涼を感じてみたいものです・・・
桐下駄 「 山西商店 」
※ 桐下駄体験あり 要予約
さぬき市志度 5382-33【地図】
TEL/FAX 087-894-0306
桐下駄の購入や鼻緒付け体験などをご希望の場合は
一度、お問い合わせください


今は嗜好品となってしまった 下駄・・・しかし、一度履くとその感触
心地よさから、虜になってしまう人も多いそうです
また、山西さんでは 桐下駄のメンテナンスも ずーと行って下さるので、
鼻緒を取り替えたり、下駄裏のゴムを取り替えたりしながら
大切に履かれるのだそうです





香川の保多織や京都の錦織、フランスのシルクや山西さんお勧めの
印伝柄など、自分の好きな鼻緒を選んで作ってもらうことができます
オフシーズンの秋には、好きな布を持ち込んで自分だけの鼻緒をオーダー
できるサービスもされる予定だそうです
自分だけの オリジナル・・・・ ステキですね

暑い夏・・・ 浴衣に着替え 桐下駄を履き 扇子で扇ぎつつ
涼を感じてみたいものです・・・
桐下駄 「 山西商店 」

※ 桐下駄体験あり 要予約

さぬき市志度 5382-33【地図】
TEL/FAX 087-894-0306
桐下駄の購入や鼻緒付け体験などをご希望の場合は
一度、お問い合わせください