のっきーです

古墳や史跡が大好きなのっきーは・・・

ずっと気になってました・・・この看板



富田焼???
※元々讃岐は、古くから製陶の盛んな国として知られ、すでに奈良時代には、特産物として皿や碗など3000個以上が朝廷に収められていた記述もある。
ここ・・・さぬき市大川町富田は、焼き物に使われる良質な陶土を産し、豊富な燃料にも恵まれていた為、江戸時代、焼き物の里として栄えたところであったそう

さぬき市で有名なあの「源内焼」にも、富田の陶土が
使われてるんですって!!!

そんな大川町富田にある【 吉金窯跡 】

※香川県指定史跡
看板の下に・・・

10mって・・・

書いてなければ、絶対に一人では 入れない感じでしたけど

その言葉を信じて、何も見えない山に入っていくと・・・
本当!!! すぐに見えました



階段状になった 窯跡

復元すると・・・

こんな感じ


火の調節をする、いわゆる「登り窯」
下の方は 高い温度で焼くもの・・・
上の方は 低温で、じっくり焼くものを置いておくんだそう


その規模 → 全長40m 高低差9メートル



でかいっ

なので・・・この辺り一帯の陶工達によって、協同で大量の
焼き物が作られていたという訳です

実は・・・ 今でも莫大な量の陶片や窯道具が埋まっている
そう

掘ってみたい



そして・・・ この場所に深く関わる人物がいたそうな!!!
その名は・・・「紀太 理兵衛」
お茶をたしなむ人なら、聞いたことがあるかも・・・

高松藩初代藩主 「松平頼重公」が京より呼び寄せた
名工で、現在の栗林公園の北に屋敷を賜り
窯を築いた人です

![images[1].jpg](https://sanuki-asobinin.up.seesaa.net/image/images5B15D-bc30c-thumbnail2.jpg)
もともと京で焼き物をしていた理兵衛

彼の焼き物は、京焼の要素をふんだんに取り入れた
金銀彩色絵を用いた 美しい色絵陶




それから、長い年月受け継がれてきた「理兵衛焼」
その中で、4代目「紀太理兵衛」を受け継いだのが、
富田出身の「蓮井弥助」という人

その弥助が、富田吉金に窯を移したとされるのです!!
それを物語るかのように、その時代の理兵衛焼には
「富田」印が残されているそうです

つまり・・・4代目・紀太理兵衛こそが 富田焼の祖では
ないか・・・というわけ

今もなお、名を「理平焼」として残す、現代の
13代目・紀太理平は高松にて、焼き物を広めています


そして・・・その実弟が・・・なんと
始祖ゆかりの富田の地に陶房を築き、富田吉金窯を
再興したというではありませんか



早速!!! 由緒ある「富田焼」を見せてもらいに
突撃取材――――!!!
う〜ん




その様子は また明日のブログにて〜

BY のっきー

より大きな地図で 吉金窯跡 を表示