2013年03月13日

戦争のむなしさを伝える、四国で唯一の『人間魚雷・回天』

DSC_0839.JPGさぬき市津田、羽立峠。
素晴らしい津田の海を眺めるように置かれている

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『人間魚雷・回天』
いつでも回天を見ることが出来るその場所には、2人の戦争体験者の、戦争へ対するとある思いが込められていました




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戦争の悲惨さを語る歴史の証人がいると聞いてやってきたのが、さぬき市津田町。


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羽立峠の途中に展示されているのは、第二次世界大戦で終戦直前いわゆる『特攻』の一つであった人間魚雷「回天」。実物大レプリカが置いてあるんです。


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その回天をしげしげと見つめる二人の御老人。


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さぬき市津田町に住む山崎将さんと東かがわ市に住む三好昌廣さん。どちらも御年90歳。
お二人は大川中学校(現・三本松高校)の同級生。共に日本海軍兵として、第二次世界大戦を体験されました。

山崎さんは昭和16年に日本海軍に入隊。サイパンなどで主計兵として、戦況の第一線で戦われたそうです。
三好さんは昭和20年に、海軍兵科第三期予備生徒として海軍対潜学校に配属されました。

そして、この三好さんが所属していた海軍対潜学校』というのが人間魚雷回天に乗る人が集められた学校だったのです

三好さん「自分が学校に入ったときは、150人いた同期の中で成績の良かった半分が回天に乗ると聞いていました。私が入隊したのは昭和20年5月。その3ヶ月後、日本はポツダム宣言を受け入れ終戦となりました。もし終戦が伸びていたら私は回天に乗っていたか、なんらかの形で特攻して死んでいたと思います」


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羽立峠にある回天は、2007年に三好さんの私財を投じて作られました。
正式名称は『回天一型』
回天の実物大レプリカがあることは大変珍しく、四国にはここにしかありません。

全長4.5メートル。直径1メートル。1名が乗って操縦、起爆できるようになっています。
魚雷を改造したもので、前半分は爆薬、後方部はモーターと動力源である酸素が入るタンク。
そして、真ん中には人間が入り、操縦するスペースがありました。

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潜水艦に取り付けられて運ばれた回天は、発進すると乗った人間が目視で敵の軍艦の位置を確認しながら操縦し、体当たりをします。
しかし、体当たりしなくても2時間半後には自爆する仕組みになっており、脱出装置もありません。


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回天のうしろには悲母観音地蔵。慈しみ深い母の面影をもつ優しいお顔の観音様です。

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この悲母観音地蔵は同2007年、戦没者を偲んで山崎さん含む7人の大川中学校同級生で建てたもの。


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羽立峠は、日本神話の時代ヤマトタケルが白鳥に変身し、西へ飛んでいた途中にその羽が一本落ちたという伝説が残っている場所です。
その場所には、回天ともに山梨県の実相寺に植えられている『神代櫻』の苗が植えられています。
贈られたのは三豊市の方。戦中に友と一緒に回天の製造に関わっており、三好さん達の活動を聞きつけ桜の木を贈ってくれたんだそう。


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この日は特別に、回天のレプリカの中に入らせていただきました。
実際の回天と同じく下から操縦席の中に入ることが出来ます。

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中は高さ1メートル、幅2メートルほどの操縦スペースがあり、入っただけで閉塞感に体が押しつぶされてしまいそうになります。入り口を閉めてしまえば真っ暗。

私「回天は2時間半後には自爆するようにされていたとありましたが、それは操縦士が逃げないように?」

山崎さん「いやいや、動力源がなくなると自爆するような仕組みになっとっただけです。それにあの時代に逃げようと考えた回天の操縦士は多分いなかったと思います」

そんな…狭く暗くそして、なんの音もなかったであろう海の底で必ず死ぬ運命にあった回天操縦士。彼らは一体何を思っていたのでしょうか。


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山崎さん「敵の艦隊に体当たりできた回天が、いくつあったと思いますか?」

私「う〜ん…」

三好さん「アメリカの記録によると米軍艦に直撃した回天は、日本軍が発射した回天のわずか2パーセントだけだったと言われています。
日本の当時の記録によるとほとんどが当たったように報告がされていましたが、有能な電波レーダーのなかったので自爆の爆発と直撃の爆発をごっちゃにして記録にしていたんでしょう」

『天を回らし、戦局を逆転させる』その為に開発されて尊い命が失われた回天作戦ですが、実際には悲しすぎる事実だけが残っていたのです。

三好さん「戦争とは勝っても負けても本当にむなしいものです。この回天が千年でもそれ以上でも長く戦争のむなしさを伝え続けてほしい、と思っています」


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終戦からもうすぐ68年。
回天と桜の花が平和な世界を見守りつづけてくれますように。

byはっとー

※回天はいつでも自由に見学することが出来ます。

より大きな地図で 回天 を表示


【2014年1月追記】
新しく同じ場所に、「幻の特攻グライダー 神龍」が設置されています。
詳しくはこちらをご覧ください。
→ 東かがわ東方見聞録:幻の特攻グライダー 神龍 




ひらめき同じく平和への祈りを込めて、シベリア抑留体験者 故・川田さんとそのお孫さんの千田さんの二人展『鎮魂』は21世紀館さんがわにて、3月17日まで。是非お立ち寄りください。
生きる強さと喜び・平和への願いを込めて☆祖父・故川田一一と孫・千田豊実の二人展IN21世紀館さんがわ 
posted by sanuki-asobinin at 23:33| 香川 ☔| Comment(5) | 歴史・文化財 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
戦争はいやですね。
Posted by えりこ at 2013年03月20日 21:06
ご自分で費用を出されるとは!!!

さぞ費用が掛かったでしょうね。


平和の尊さを皆忘れているのでしょうか??

是非行ってみたいです。(^^♪
Posted by えりこ at 2013年03月21日 16:00
コメントありがとうございます!

戦争は調べれば調べるほどもう二度と繰り返してはいけないと強く思いますよね。

是非とも行ってみてください。百聞は一見に如かず、こういった戦争の痕跡から興味を持っていただけることで末永く永遠に平和の尊さを知っていてほしいなと切に祈ります。
Posted by あそ達スタッフ はっとー at 2013年03月22日 00:58
無言の重圧感が凄かったです。視界にその姿が見えた途端、胸が込み上げる想いで一杯になり、車の中で泣いてしまいました。何度も何度も、手を合わし、何度も何度も、頭を下げながら、ゆっくりと現物に近づき、目の前にした時は、まともに立っていられませんでした。
無様な位に声を上げ、鳴いてしまいました。
とても暑い夏の日でした。
Posted by 生1丁! at 2013年08月23日 17:26
コメントありがとうございます。
そして、お越し頂きありがとうございます。
津田の町を見下ろす静かなで豊かな景色のなかでぽつんと、しかしはっきりと存在する回天の重圧感、わかります。
ぜひ、また誰かに教えておこしくださいね!
Posted by あそたつスタッフ はっとー at 2013年08月23日 23:23
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