古墳ツアー、さぬき市大川町富田のみろく通り池公園に到着しました。
通り池公園とはその名のとおり、以前は池だった場所を埋め立てて作った公園。その池からは弥勒菩薩の像が見つかったという伝説が残っています。
この通り池公園のすぐ隣に、四国最大の古墳『富田茶臼山古墳』があります!
今でこそ上からの形が分かる古墳ですが、昔の人にとって古墳は横からしか見れないものでした。
その名前が現在にも残っているのです。
確かに横からみると車の形!古墳カー!
当時は牛車や馬車の形から連想したんでしょうが、自動車の形のほうがなんだかしっくり来ます。
横を歩いてわかるその大きさ!
さすが四国最大!
富田茶臼山古墳は高さ15メートル、長さは139メートルもあります。平成5年に国の史跡に指定されました。
作られた時代は5世紀前半。古墳時代中期で大きな古墳が全国的にたくさん作られた時代です。
四国を統治するほどの権力者=この地域の王様が富田茶臼山古墳に埋葬されているのでは!?と言われています。
どうしてこの場所にこんな大きな古墳が作られたのでしょう?
松田先生「長尾街道、この道の近くに大きな古墳があるのも茶臼山古墳の大きさのヒミツを知る一つのポイントです!さて、我ら一行は富田茶臼山古墳の側面を沿うように長尾街道を歩きます。
横を歩いてわかるその大きさ!
さすが四国最大!
富田茶臼山古墳は高さ15メートル、長さは139メートルもあります。平成5年に国の史跡に指定されました。
作られた時代は5世紀前半。古墳時代中期で大きな古墳が全国的にたくさん作られた時代です。
→太古からのメッセージ☆四国最大級☆大川町茶臼山古墳 〜四国を統治した人物か?!〜
古墳時代前期のうのべ山古墳や岩崎山4号古墳は海の近くに作り、海路を行く人に自分たちの権力をアピールしていました。
しかし!
古墳時代中期の富田茶臼山古墳になると最強自己PRポイントは海側→内陸に変わっていたのです!!
古墳時代中期の富田茶臼山古墳になると最強自己PRポイントは海側→内陸に変わっていたのです!!
実は長尾街道の原型となった東西に伸びる道が古墳時代から徳島に、そこから和歌山そして政治の中心だった奈良へと繋がっていたんです。
富田茶臼山古墳は後円部にあがる階段があるのですが、今回は前方部から古墳の周りをくるりと回って後円部に向かいます!
視界が開けるので、古墳の面白さも沢山見えてきますよ〜
古墳もちょっと今までとは違います。
なんと茶臼山古墳の横には掘があったんだそう!
掘がある古墳は、奈良や大阪にある国を治めていた人が眠るような大きな古墳と同じなんだそう!