貴方は『空白の4世紀』という言葉を知っていますか?
4世紀、正確には西暦266年から413年までの間、日本の歴史上なんの史料も残っていない空白の時代なんです。
そんな4世紀は古墳時代真っ只中!
全国の考古学者は古墳を発掘研究して、文字以外の要素で日本の歴史の空白を埋めようと頑張っているのです。
そして、さぬき市にも古墳時代の『空白の100年』があるんです!
その空白を埋めるヒントはここにあるかもしれません。
さぬき市空白の100年。
岩崎山4号古墳の上空地図
富田茶臼山古墳の上空地図
それはうのべ山古墳から続く岩崎山4号古墳などの津田古墳群から富田茶臼山古墳までの4世紀中盤〜5世紀前半までの約100年弱の間、古墳の系譜がぷっつりと途絶えてしまったのです。
特に大阪の天皇陵とのつながりも見えるほど、権力があった岩崎山4号墳に眠る津田の王様はいったいどこに行ってしまったんでしょうか?
そのヒントがさぬき市津田町『荒魂神社』にあるのかも!
荒魂神社は地元では『古宮さん』と呼ばれ親しまれています。
津田高校の近くにある自治会の建物と一緒になっているような小さな神社です。
実はこの荒魂神社、同じ津田町にある津田八幡神社よりもさらに古い、1100年以上昔に出来たという大変古く由緒ある神社なんです。
秋祭りの際にかつぐ、小さな社には似合わない立派で大きな黒塗りの御神輿もこの神社が特別なことを物語っています。
なぜ、この神社がさぬき市古墳の空白を埋めるのか!?というと実はこの古宮神社の御旅所が岩崎山4号古墳の後円部のてっぺんにあったのです。
昭和58年までは10月のはじめに行われる秋祭りでは、御神輿を岩崎山4号墳まで持って行っていたそうです。
もしかしたら、荒魂神社で元々祀られていた人物が岩崎山4号墳に眠る人物になにか関係があるのかもしれませんね〜
そして、この津田川を渡って富田茶臼山古墳へ歴史の表舞台を移したのかなぁ
そんなことを現在、荒魂神社の御旅所が現在移されている旧津田橋の小公園にて、のんびり考えるはっとーなのでした。
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古代の浪漫に思いをよせて、おいしいランチはいかが?