さらです。
さぬき市をよく知るガイドさんといっしょに歩きながら
歴史やグルメ、まちの達人との交流を堪能できる
志度まちぶら探検隊のまちあるき。
さぬき発!てくてくまちぶらのススメ
『源内さんが育った志度村めぐり』
地元の人でも知らないような場所を、歩いて楽しく知ろう!
ということで、毎回、面白いコースが企画されています。
2013年11月16日(土)に開催された
「末」ってすごい!縄文土器!空海の先生!歴史てんこもり。
〜水戸から来たお殿様が眠る霊芝寺で「お成りの間」拝見〜
高松自動車道の志度インターチェンジの南側に位置するさぬき市末地区。
(「末」とかいて「すえ」と読みます)
末地区の史跡を巡り、歴史を紐解いていくツアーの様子をお伝えします
晴天に恵まれ、絶好のまちぶら日和
今回のツアーに参加したのは、全部で16名。
バスと徒歩で移動して、末地区を散策します。
廣瀬小三郎銅像
廣瀬小三郎の功績について説明を受けます。
岡田屋敷跡
この石碑の向こうに、志度で名家として知られた「岡田家」の屋敷がありました。
平成3年に圃場整備事業が行われたため、
現在では岡田屋敷跡があったことを示す石碑だけが立っています。
岡田家の祖といわれるのが岡田牛養(うしかい)。
岡田牛養は奈良時代〜平安時代前期の学者で、
真言宗の開祖である空海に「明経道」という学問を教えた人だそうです。
そのとき、空海は15歳くらいだったとか。
末地区は昔「岡田村」と呼ばれていました。
のどかな風景も、歴史的な事実を知ると、ちょっとだけ違って見えてきますね。
ちなみに、香川県琴平町の金刀比羅宮にある高燈籠を建てる際、
資金200両を出したのが、この岡田家の方だったそうです。
1両=10万円で計算すると、2000万円もの大金。
豪快だなぁ…。
末一号古窯跡
「末(すえ)」という地名の由来となったものがここにあります。
古墳時代の末期(7世紀頃)から奈良時代(8世紀)につくられた、
須恵器や陶器を焼く登り窯の跡です。
末地区に残る数基の窯の中で、最初に発見されたので一号と呼ばれています。
つまり、
末 =末地区にある
一 =最初に発見された
号
古 =古い
窯 =登り窯の
跡 =跡
なんですね。
傾斜角が20度くらいの斜面を利用した登り窯で、全長8.7m、最大幅2m。
80cmほど穴が掘られていました。
窯の内部は1部屋で、温度は1100度程度になったそうです。
(現在の登り窯の内部は3部屋くらい分かれていて、だいたい1300度くらい)
縄文式土器、弥生式土器などに比べて、焼く温度が高いので、焼きしめが良くでき、
高杯や蓋杯や甕などを中心として焼いていたのではないか、と推測されています。
霊芝寺
http://sanuki-asobinin.seesaa.net/article/380709392.html
【お問い合わせ】
『源内さんが育った志度村めぐり』 秋プラン
問い合わせ先/志度まちぶら探険隊
HP/http://www.shido-machibura.com/
【秋コース 関連記事】
【春コース 関連記事】