さらです。
2013年12月15日(日)、さぬき市志度で
郷土の偉人「平賀源内」についてもっとよく知ろう!というイベント
『まんでがん源内塾』が開催されました
公益財団法人 平賀源内先生顕彰会が主催するこのイベントでは、
今年の6月から月1回、全部で7回にわたって講座が開かれ、
さまざまな角度から平賀源内について勉強してきました。
第7回目である今回の講座は、
大阪商業大学教授 石上敏先生による 『戯作者としての平賀源内』 |
平賀源内といえば、
電気を発する機械「エレキテル」を発明したり、
「土用の丑の日」を生み出したコピーライターとして知られていますが、
ベストセラー作家としての顔を持つということは、あまり知られていません。
今回の講座では、作家としての源内さんを学びました。
会場は、志度寺の門前にある自性院。
ここは、源内さんのお墓がある場所でもあります。
今回の講座には約40名が参加。
平賀源内先生235回忌追善法要(やっちさん記事参照)に続いて開講されました。
講師である石上敏先生は、
『万象亭森島中良の文事』(森島中良は平賀源内の門人)
『平賀源内の文芸史的位置−戯作者としての評価・評判−』
などの著書のほか、数々の論文を上梓した、源内研究の権威。
今回の講座では、戯作(げさく)の開祖としての
平賀源内について解説してくださいました。
戯作というのは、江戸時代の中期以降に発達した俗文学のこと。
内容は、笑いあり、下品で不埒なところもありという、
今で言うところの娯楽小説のようなものです。
例えば、源内の著書である『根南志具佐(ねなしぐさ)』は、
閻魔大王さまが、若い女形の役者(男性)に一目惚れして
騒動を起こすという話なんだそうです。
ファンタジー&ラブコメディー
といったかんじです。
ストーリーを知れば知るほど面白くて、ぜひ読んでみたくなりました。
石上先生によると、
★平賀源内は「戯作の開祖」であり、後世に多大な影響を与えた。
★他に、このような呼称を、継続的に与えられた江戸時代の戯作者は存在しない。
★源内の登場と活躍がなければ、式亭三馬の『浮世床』や十返舎一九の『東海道中膝栗毛』も、この世に登場しなかった。
つまり、源内が後世に残した最大の偉業は、
石上先生によると、
★平賀源内は「戯作の開祖」であり、後世に多大な影響を与えた。
★他に、このような呼称を、継続的に与えられた江戸時代の戯作者は存在しない。
★源内の登場と活躍がなければ、式亭三馬の『浮世床』や十返舎一九の『東海道中膝栗毛』も、この世に登場しなかった。
「戯作、つまり娯楽小説の基礎を作ったことである」
ということでしょうか。
私は読書が好きなので、たいへん興味深かったです。
源内さんに対する考えも変わりました。
以上で90分の講義が終了。これで今年のまんでがん源内塾の全ての講座が終了しました。
平賀源内記念館に置いてあるそうです。
興味のある方はぜひ、平賀源内記念館に足を運んでみてくださいね。
源内さんに対する考えも変わりました。
以上で90分の講義が終了。これで今年のまんでがん源内塾の全ての講座が終了しました。
▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△
イベント終了後、石上先生にお話を伺いました。
先生の専門は日本語学と比較文化。
元々は、江戸時代の辞書を研究されていたそうです。
「現代の辞書は、あいうえお順に並んでいるのが普通だけれど、
江戸時代の辞書は、分類ごとに言葉が並んでいる。
その分類や、言葉の選び方などを研究していた」
そもそも先生が平賀源内に出会ったのは、学生だった23歳の頃。
岡山大学出身の先生は、四国によく来ていて、
たまたま志度寺でいるときに、ふらっと立ち寄ったのが
志度寺門前にある平賀源内のお墓だったんだとか。
「でもその時は、平賀源内のお墓だと知りませんでした。
気になって後で調べたら、平賀源内の墓だった」
その後、恩師から戯作者の森島中良という人の話を聞いて、
興味を持って調べていくうちに、
森島中良は平賀源内の弟子だったことを知り、
そこから源内の研究を始められたそうです。
何度か志度に来ているときに、
平賀源内記念館の館長である砂山長三郎さんと、
平賀家七代目当主の平賀一善さんと知り合い、
現在まで交流が続いているんだそうです。
今回さぬき市へは、大阪商業大学の学生たち(卒業生含む)
5人と一緒に来られたそうです。
「皆さん、先生の教え子さん達ですか?」
と私が伺うと、石上先生は、
「いえいえ違います。お友達です」
と笑いながらおっしゃっていました。元々は、江戸時代の辞書を研究されていたそうです。
「現代の辞書は、あいうえお順に並んでいるのが普通だけれど、
江戸時代の辞書は、分類ごとに言葉が並んでいる。
その分類や、言葉の選び方などを研究していた」
岡山大学出身の先生は、四国によく来ていて、
たまたま志度寺でいるときに、ふらっと立ち寄ったのが
志度寺門前にある平賀源内のお墓だったんだとか。
「でもその時は、平賀源内のお墓だと知りませんでした。
気になって後で調べたら、平賀源内の墓だった」
その後、恩師から戯作者の森島中良という人の話を聞いて、
興味を持って調べていくうちに、
森島中良は平賀源内の弟子だったことを知り、
そこから源内の研究を始められたそうです。
何度か志度に来ているときに、
平賀源内記念館の館長である砂山長三郎さんと、
平賀家七代目当主の平賀一善さんと知り合い、
現在まで交流が続いているんだそうです。
今回さぬき市へは、大阪商業大学の学生たち(卒業生含む)
5人と一緒に来られたそうです。
「皆さん、先生の教え子さん達ですか?」
と私が伺うと、石上先生は、
「いえいえ違います。お友達です」
先生のゼミの学生さんではないけれど、
今回、先生の手伝いに来てくれたんだそうです。
皆さんで笑い合う姿に、先生の優しいお人柄が感じらました。
▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△
2013年に開催された「まんでがん源内塾」の
全講座の録音テープとレジュメは、今回、先生の手伝いに来てくれたんだそうです。
皆さんで笑い合う姿に、先生の優しいお人柄が感じらました。
▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△
平賀源内記念館に置いてあるそうです。
興味のある方はぜひ、平賀源内記念館に足を運んでみてくださいね。