2014年01月28日

津田古墳群の謎を追え!国史跡指定<記念講演会>「津田湾をめぐる古墳群の謎」が開催されました@津田

さらです。


2014年1月26日(日)、さぬき市津田町にある
さぬき市津田公民館で、

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<津田古墳群 >

国史跡指定・記念講演会

「津田湾をめぐる古墳群の謎」

が開催されました。


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さぬき市教育委員会の主催で行われたこの講演会には、

立ち見が出るほど多くの人が来場し、

国史跡に指定された津田古墳群への

関心の高さをひしひしと感じました。




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会場となったさぬき市津田公民館


講演会は13:00から始まりました。


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さぬき市・大山茂樹市長による開会のあいさつ。


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大川広域行政組合埋蔵文化財係・松田朝由さんが、

津田古墳群の概要説明』と題して、
発掘調査を行った立場で津田古墳群について説明されました。

津田古墳群とは?
古墳時代前期(3世紀後半〜4世紀)にかけて、
津田湾沿岸地域を中心に築造された
9基の首長墓のことをいいます。

これら9基の古墳は、
「地元色の強い古墳」から「畿内(大和政権)色の強い古墳」へと、
変化していく様子が見て取れるため、
大和政権が地域社会へ浸透していく過程を示す、
貴重な古墳群として注目されています。

松田さんは、津田古墳群の変遷について
分かりやすい例をいくつか挙げて説明されました。

例えば、石棺の埋葬方向』
地元色の強い時代東西方向
畿内色の強い時代北南方向
と変化していったのだそう。

現在でも亡くなった方を北向きに寝かせる
「北枕」という風習がありますが、
それが変わるということを想像すると、
社会に大きな変化があったことが分かりやすいですよね。

続いて、

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「わたしと津田古墳群」と題して
元・津田湾古墳群調査検討委員会 委員長の
六車恵一さんが講演されました。

六車さんは、1965年(昭和40年)に
「讃岐津田湾をめぐる四、五世紀ごろの謎」
という論文を発表され、現在につながる
津田古墳群研究のきっかけを作られた方です。

高校生の頃から考古学に興味を持ち、
社会人となって学校の教員をされていたときも、
余暇を利用して考古学研究を続けられてきました。

「瀬戸内海の航路の要所に古墳があるのではないか」
という考えから、天然の良港である津田湾が
条件にぴったり当てはまっていると思いつき、
津田古墳群を本格的に研究し始めたのだそうです。

論文発表から約50年を経た今、
津田古墳群が国指定史跡となったということで、
六車さんも感慨深いようでした。

休憩を挟み、

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「津田古墳群から見た古墳時代の政治構造」と題して、
文化庁記念物課の文化財調査官である林正憲さんが講演しました。

林さんは津田古墳群の国指定遺跡となる際、
文化財調査官として尽力された方です。
それと同時に、古墳時代の研究者でもあるので、
今回は、調査官と研究者、二つの立場からお話されていました。

国史跡に指定されるということは、
さぬき市だけでなく国の歴史の上でも
重要だと認めらたということ。

これほど海に近い場所にある古墳群は、今のところ
史跡指定されたものの中には無いのだとか。

「国史跡に指定されることは、ゴールではなくスタート。
今回会場に来ていただいた皆さんからも、
津田古墳群の重要性を伝えていって欲しい」

そして、研究者としては、
大和政権のある畿内の側から見た津田古墳群の変化を、
出土した鏡や埴輪などを元に解説されていました。

「自分が研究しているからかもしれませんが、
古墳時代ほどドラマチックな時代は無いと思っています。
これほどまで大きな古墳を造る情熱はどこから生まれたのか」
と、林さんがおっしゃっていたのが印象的でした。

最後に、

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津田古墳群調査検討委員会・副委員長をされた
広島大学大学院教授・古瀬清秀さんが
コーディネーターとして加わり、
ミニシンポジウムが開催されました。

このシンポジウムの中で、私が一番印象に残ったのは、
「これほどの古墳を造った首長たちは、
地元の人だったのか?
それとも、
大和政権から派遣された人だったのか?
という議題です。

林さんも松田さんも、根拠を挙げて
「地元の首長だったのではないか」
という考えを述べられていました。

巨大な古墳を造り、大和政権とも密接に関係していた首長が
昔のさぬき市にいたのだということに驚きです。

来場されていた方々は、時々、メモを取るなど、熱心に話を聞いていて、
なんとなく会場が熱気に包まれているような、そんな講演会でした。


*:..。o○☆ *:..。o○☆ *:..。o○☆ *:..。o○☆ *:.

さて、今まで
あそたつミステリーハンターとして
津田古墳群の謎を追ってきましたが、
「さぬき市にはなぜ古墳が多いのか?」
という謎に、私なりの答えを出してみました。

まず、さぬき市の津田湾が
瀬戸内海の交通ルートの重要な港だったため、
早い時期から畿内の大和政権の影響を受けた。

また、海の向こうの国と活発に交流する首長がいたため、
文化や技術をいち早く取り入れることができた。

だから、古墳が多いのでは?

ド素人の勝手な想像ですが、
こんな風に誰でも歴史のロマンに思いを馳せることができるのが、
考古学の良いところですよね。

点と点がつながっていくようなところが、
ちょっとミステリーと似ているような気がします。
知れば知るほど、古墳って楽しいかも!

「日本列島の古墳時代前半の縮図」と言われる
津田古墳群

ぜひ、さぬき市で歴史のロマンにふれてみてくださいね。




国史跡指定記念講演会「津田湾をめぐる古墳群の謎」
開催日時/2014年1月26日(日)
開催場所/さぬき市津田公民館1階ホール 【地図
お問い合わせ/さぬき市教育委員会生涯学習課 文化財係
(TEL:0879-42-3107)








posted by sanuki-asobinin at 15:00| 香川 | Comment(0) | 歴史・文化財 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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