2014年02月02日

『福内鬼外(ふくちきがい)』のペンネームを持つ、平賀源内!@志度


やっちです。


平賀源内が『福内鬼外』(ふくちきがい)というペンネームを使って

人形浄瑠璃の本を書いていたのをご存知ですか( ´艸`)?

私は知りませんでした(((( ;°Д°))))


さぬき市志度で節分に行なわれている『鬼の豆もらい』も

地元では平賀源内が始めたと言い伝えられていて、

節分との繋がりが深い源内さん。


さぬき市志度にある『平賀源内記念館』には
平賀源内についての資料が沢山展示されています。
IMG_4003.jpg

『平賀源内記念館』館長である砂山さんに
『福内鬼外』として書いた人形浄瑠璃作家としての
平賀源内のお話をお伺いしてきました。
1.jpg

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


福内鬼外(平賀源内)が書いた人形浄瑠璃の脚本は全部で9つ!
1作目の『心霊矢口渡』(しんれいやぐちのわたし)
は今でも人形浄瑠璃や歌舞伎で演じられている人気作品です。

人形浄瑠璃は小説とは違い、
形式や約束事が多く、作曲も必要なため『心霊矢口渡』は
人形遣いであり作者・演出もこなす江戸・外記座の吉田冠子と、
玉泉堂、吉田二一との4人での共作となっているんだそう。

東京都にある新田神社が荒れた状態だったため、
本草学や戯作者として文才があった平賀源内にお願いをしたという説と、
平賀源内が『心霊矢口渡』を書いた事で新田神社が再興したという説
の2つの説があるそうです。
どちらが正しいのかは分からないそうですが、どちらにしろ
平賀源内が関わったことで新田神社が再興したのには
間違いないですね(*^▽^*)

『心霊矢口渡』は明和7年(1770年)に外記座で初演され、
江戸言葉や廓言葉を『せりふ』に使用し、人気を博したそうです。

人形浄瑠璃の脚本は2作目以降は平賀源内だけで書かれた作品と
共作で書かれた物とがあるそうです。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

福内鬼外(平賀源内)作の『心霊矢口渡』は5段形式です。

『心霊矢口渡』の重要な登場人物は
新田神社に祀られている『新田義興』の弟である『新田義岑』と
大悪人として描かれている『頓兵衛』とその娘『お舟』。

一番の見どころは5段形式中、4段目『頓兵衛住家の段』。
『頓兵衛』が『新田義岑』を追いかけているところ、
『お舟』が『新田義岑』を助けようとする場面です。

『頓兵衛』が『新田義岑』を追いかけていたところに、
どこからともなく矢が飛んできて『頓兵衛』を射殺す。
それが『新田義興』の霊が弟を助けたのではないかと言うお話です。

砂山さんが面白いと思うのはこの場面で出てきた矢。
その矢が悪いものをよける矢と言うことで、
新田神社の竹やぶから竹を切り破魔矢として売り出したらどうか
という話を平賀源内が提案し売りだしたところ大人気でどんどん売れ、
それで新田神社が再興したのだと伝わっているそうです。

物語の中には本草学の知識を使い、
磁石を気持ちに例えた一節があります。
それが一般の人形浄瑠璃の脚本と違う、
福内鬼外(平賀源内)の特徴なのだと
説明してくださいました。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

平賀源内記念館には『心霊矢口渡』の脚本が展示されています。
江戸のコーナーのこの絵が目印(*^ー^)ノIMG_3996.jpg

小説と一緒に人形浄瑠璃の脚本も展示してあります。
実際に練習に使用されていた脚本の為、
ボロボロになってしまっているそう。

皆さんも是非、見に行ってみてくださいね(*^▽^*)



平賀源内記念館
香川県さぬき市志度587番地1 【地図
開館時間/9:00〜17:00
休館日/月曜日(祝日、振替休日の場合はその翌日)、年末年始
入館料/一般 500円、大学高校生 400円、小中学生 250円
TEL:087-894-1684

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posted by sanuki-asobinin at 08:00| 香川 ☀| Comment(0) | 歴史・文化財 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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