「山ガール」より「ハイキング」タイプ、かっし〜です。
心を清めてくれる山。
ヒザが笑っても登りたくなる時があります
2015年4月11日(土)は
はっとーがお伝えした「神前パワースポット10社めぐりウオーク」と同時に
さぬき市大川町でとあるまちあるきツアーが開催されました。
おへんろを歴史・文化・観光の視点で伝えるさぬき市の達人
「おへんろつかさ」主催のまちあるきコース
ん?!
四国八十八箇所霊場の八十八番札所といえば「大窪寺」だけど…
結願寺の候補が別にあったとな?!
その謎を知りたくて、思わず参加しちゃいました
正式名は「花(火)生山蓮華院 西教寺」
大川町、津田町をまたぐ山であり
お寺のバックにそびえる「火山(ひやま)」が名前に入っています。
西教寺はただいま絶賛修復中ですが
瓦屋根のてっぺんに「西・教・寺」と模した瓦があったり
お堂に3匹のお猿の像がこっそり存在していたりと
面白いポイントがたくさんあると
おへんろつかさのみなさんが教えて下さいました。
ツアーガイドは「おへんろつかさの会」会長の渡邉さん。
文化財や古文書に非常に詳しいさぬき市の歴史の達人です!
飯田農園さんの俵札解体の研究時にもいろいろ教えて下さいました。
西教寺は829年に建立されたと「宝蔵院古歴記」に、
行基が開創し、弘法大師が建立したと寺記に残っていますが
なぜここが八十八番札所の候補と言われるようになったのか。
その所以は西教寺門前の標石に注目!!
正面には「これより奥の院へ8丁」。
お遍路道に立つ道のりを表す一般的な丁石と同じ?
しかし左側面には
「この寺の岩屋に大師の手づから
刻ませ絵ふける薬師如来おはせり…」
という記述が!
(見づらいけど、大師の「師」はかろうじて私にもわかりました!)
これを読み解いた結果、
「弘法大師が彫りだした磨崖仏(まがいぶつ)があるなら
西教寺こそ結願の寺にふさわしいのでは!」
と言われるようになったそう。
では早速、噂の磨崖仏を見にレッツゴー!!!
西教寺西側の道路を山に向かって歩きます♪ルンルン♪
奥の院まではアスファルトで舗装されたきれいな道があり
一定間隔ごとに丁石と石仏が置かれています。
石仏はミニ西国三十三観音様。
奥の院まで33の観音様があり、地域のみなさんが拝んで廻ります。
十一面観音から千手のように手の多い観音様まで様々!
丁石には「1丁」「2丁」と、奥の院までどのくらい進んだかの記述と
このあたりの地名「梅ケ谷」にちなんだ句が詠まれています。
「白雲の 谷を埋めむや 梅の花」
「何鳥の 来ても匂うや 梅の花」
句末が「梅」で締めくくられているのが共通点ですよ〜。
奥の院まではアスファルト舗装の道があるんですが、あえて山道へ!
ゆるやかな坂と階段状の山道なので意外と登りやすい〜!
丁石と石仏が続きます。
途中、山野草を眺めつつ…
15分ほどで火山の中腹にある奥の院に到着!
とても綺麗なお堂と西国三十三観音の石碑が。
地域のみなさんがこまめにお手入れをされているんだそうです。
と、その山側に!!!ありました!!!
足元からそびえ立つ大きな岩に彫り込まれた仏像は
香川で一番の大きさだとか!!
頭、胸部はしっかりと厚肉彫りされています。
その下は剥落していて本当の姿は誰もしりません。
一番どりの鳴き声を聞いて手を止め
大窪寺に向かったという伝承が残っていますが
もしも綺麗に完成していたら…
本当に西教寺が88番札所になっていたかも?!
磨崖仏に沿うように山道があるので
お顔の隣まで行っちゃいました!
やっぱり大きいーーー!!!
頭部だけで70センチ!
ありがたや〜
この磨崖仏が何百年も見つめてきたのが
さぬき市大川町のこの風景。
道の駅みろくや茶臼山古墳が見渡せる絶好の場所!
この「富田」という地域は弘法大師も通ったと言われる「南海道」。
東にある田面峠を越えて、引田、徳島、和歌山を抜けて、高野山へ歩む人が多かったよう。
北に磨崖仏、南に茶臼山古墳がみえるこの付近を見て歩く者たちは
かなりの権力を感じずにはいられなかったはず。
そして奥の院のお堂…実は大岩の一部!
中に入るとわかりますが、
お堂の奥にはむき出しの岩ごと様々な仏像が祀られていて
通称「穴薬師(あなやくし)」と呼ばれています。
磨崖仏からさらに上に登ると、もうひとつの磨崖仏が。
2つの磨崖仏はともに白っぽい石。
これこそが「火山」の特徴と言える「白粉(しろこ)石」(凝灰岩)
火山(ひやま)はもともと火山。
噴火の後、火山灰が積もり、それが白い石となって削りだされて
古墳時代には近辺の古墳の石棺として使われていました。
白粉石はやわらかい石質で彫りやすく、欠けにくいという特徴があるので
何百年前のものでも文字がしっかり残っているんですね〜。
奥の院からさらに山道を上へと進みます。
段差は時折激しいものの(泣)
ゆっくりと歩けば気持ちのいい山歩きの道。
途中、ジオパークのワークショップ時に通っていた
雨滝山への向かう道が。
火山と雨滝山は繋がっているので、尾根伝いに行き来できるんです♪
うぐいすや山野草、木の匂いに包まれて歩んでいくと…
前方に光り輝くものが!
これは…
池!!
「鬢盥(びんだらい)」と呼ばれる池で
火山の頂上にある噴火口あとから水が流れ込んでくるため
「水が枯れない池」という伝説が伝わっているそうです。
子供の頃には「鬢盥には魔物が住んでいるから近寄るな!」
と言われていた地元民もいるそうな〜。
渡邊さん
「その昔、土佐の長宗我部元親が兵を率いて香川を攻めた時
火山の隣にある雨滝山で安富一族が治める雨滝城を落城。
負けた人々がこの池に集まって衣装をただし、鬢を洗った。
だから「鬢盥」と呼ばれているんです。
その後、小豆島に逃げる者あり、長宗我部につくものあり…と
散り散りになったという雨滝城落城のエピソードがこの池にはあるんです」
津田の蟹甲湾が一望できます!
目下には高速道路と津田の松原サービスエリア、
海際にはドルフィンセンターが。
地元の人にはお馴染みの場所だとか♪
渡邉さん
「ここからけぼ山古墳、うのべ山古墳などの津田古墳群が見えますが、
火山石を使った石棺が使われているのが発掘調査でわかっているんです
この山から石を削りだし、下まで運んでいたのではないかなと思います」
六面石幢(せきどう)が2つ!
本体は火山石、上部は豊島石で補われています。
この石幢は鎌倉時代からこの地にあったといわれていますが
それがわかったのが側面に彫られた年号。
足利尊氏などが活躍する鎌倉時代に
西教寺門前にこれがあったと言われていますが
道路などの関係でお寺の方が山側に動いたのでは?と渡邉さん。
後ろの石幢には梵字が書かれているほか、
「死んでも極楽にいけるように」という願いを込めて建てられたと言われています。
さぬき市にはこういった石幢が鎌倉時代から現代まで6つほど残っているんだそうです!
ツアーにはさぬき市内・外からいろんな年代の方が参加されていて
いろんな感想をお聞きすることができました♪
「道路を走りながら見えるので気にはなっていたけれど
実際に見たのは初めて!」
「磨崖仏は実際に見てみるとやはりすごい!
これが完成していたら本当に88番札所になっていたかもと思うと
歴史のロマンを感じます!」
そしてガイドの渡邉さんは…
「磨崖仏は市の指定文化財であり、伝説的な場所でありながら
地元の人にもあまり知られていないんです。
このように沢山の方に再発見してもらいたいものが
さぬき市にはまだまだあります!」
住み慣れ、隅々まで知り尽くしたと思っていたまちの中に
数百年の時を経て存在するロマン♪
磨崖仏と鬢盥は普段から立ち入る事が出来る場所ですよ。
奥の院までアスファルト舗装された道がありますので、車でもOK!
ここからも見えるよ! 磨崖仏
地元のみなさんが「磨崖仏が見えるスポット」をいくつか教えて下さいました!
・道の駅みろく前の歩道橋【地図】
・茶臼山古墳上【地図】
そして、茶臼山古墳すぐ東にある、みろく通池公園駐車場【地図】
そして…
「おへんろつかさの会」
・今後は毎年恒例のおへんろつかさ養成講座→詳しくはこちら
・昨年も大人気だったわらべ地蔵を彫るワークショップ→詳しくはこちら
・長尾寺の点心と静御前のゆかりの地をめぐるまちあるき→詳しくはこちら
を開催予定です。お楽しみにー!
西教寺奥の院
香川県さぬき市大川町富田東1809 【地図】