あなたはお城にどんなイメージを持っていますか?
(写真:彦根城)
戦国武将の大砦、お殿様の住まい、極上の生活、ひこにゃん(笑)…
時代によって「城」のあり方は違いますが
香川県だけでも、400ものお城がかつては存在していたそうな。
(高松城と丸亀城だけかと思っていました💦)
しかも中には村民が作る、村民のための「城」があったとか!!
城についてちょっと気になってきたところで…
みろく自然公園内にあるさぬき市歴史民俗資料館で開催中の
「守る・攻める 城と館」巡回展に答えがあると聞いて
早速見に行ってきました!
「守る・攻める 城と館」展は
以前香川県立ミュージアムで開催されていた企画展。
より多くの人に見てもらいたいという意向から
丸亀市、さぬき市、観音寺市で巡回することになったもの。
江戸時代から城や館に関する図面や地図が多く作られていたことから
関連資料や写真、図面のパネル展示と、その市の「城と館」にまつわる展示がピックアップされています。
普段はさぬき市の文化財に関する展示が行われている「さぬき市歴史民俗資料館」ですが
この日は入ってすぐのスペースが巡回展ブースに。
2015年8月9日に行われた、香川県立ミュージアム副館長であり学芸員の西岡達哉先生の講演会も音声で聴くことが出来ます😃🎵
西岡先生曰く、さぬき市歴史民俗資料館開催の
「城と館」展のポイントは3つ!!!
香川には一体いくつの「城」があったのか?
香川の城といえば、「高松城(玉藻公園)」「丸亀城」が有名ですが
昔の地図や調書によれば、香川全体だけでも400の城跡があるのだとか。
この分布図は香川県下にあったと思われる「城」の場所を点で示したもの。
なんと小豆島にも城のポイントがあります。
400もの城のうちの9割9分は土作りの城のため、時とともに埋もれたり崩れて
目立たくなって、いまでは草深くなっているというところも。
(写真は竹田城址)
もちろん豪族が作った城もありますが
讃岐の地には有力な権力者が育たなかったため400もの城の多くは…
💠その土地の村人が自分たちの身を守るために作ったもの
💠仏教徒が活躍する戦国時代、宗教に関わる人たちが土製の寺院を作ったもの
が混ざり合っていると言われています。
😞城は権威ある城主が守るもの…と思っていただけに
村民たちの「砦」として作られ使われていたものがあったというのに驚きました。
さぬき市にある雨滝城は誰が作ったのか?
さぬき市大川町、寒川町、津田町にまたがる「雨滝山」の頂上に雨滝城跡があります。
💡雨滝山登山、雨滝城跡のようすはこちら
室町時代を通じて讃岐国は細川氏という守護のもとで保護されていましたが
東讃地域を代理で任された安富氏が14世紀中頃に雨滝城を居城。
その後、高知方面からやってきた長宗我部氏に侵略され、降伏落城します。
ただし、今の城跡を見てわかるのは、安富氏よりも城作りに優れた人物…
長宗我部元親のエッセンスが城造りに残っているということ。
(写真:雨滝城跡の広場)
💡今はマムシが出るため、雨滝城跡に行くのはオススメしません。
円か楕円になる山頂の平坦な部分「郭(くるわ)」が直線的であったり
讃岐では発達しなかった形態が取り入れられていたりと
長宗我部流の築城方法がふんだんに盛り込まれているんです。
つまり、長宗我部氏は雨滝城を制した後
安富スタイルだった雨滝城を自分流にリノベーションしたということ。
もともと高地方面から攻めてくる長宗我部を睨んでいた雨滝城は南向きの工法でしたが
長宗我部氏が制してからは津田湾を経由して海外へ出ていける拠点として重要視されたため
北向きの城にチェンジし、充実した工法が施されたとも言われています。
その後、長宗我部氏との入れ替わりに讃岐を統治した生駒親正が雨滝城をさらにリノベーション。
城内に直接的に人を入れない出入口「枡形虎口(ますがたこぐち)」を作りました。
玉藻公園の東門入ってすぐのところにも同様のものがありますが
門を入ってすぐは突き当たり、左にしか曲がれない入り口…といった技法。
生駒の時代になって、高松城、丸亀城、引田城、そして雨滝城と
海側の防衛ラインをかなり強化したことが城跡からわかるんです。
結果、雨滝城は安富氏築城ですが、長宗我部氏&生駒氏といったふたりの「匠」によって形作られた城ということなんですね〜。
まさか戦国時代にも城造りの「匠」がいたとは、びっくりです✨
本村遺跡調査で明らかになった香川の歴史に新しい展開あり
最後のポイントは「城」と「館」にまつわるさぬき市の新事実!!!
以前から大川広域行政組合が発掘調査をしていたさぬき市寒川町の「本村遺跡」で
江戸時代の築城ブームと香川の「城と館」のありかたを裏付ける証拠がでたんだとか!
県道10号線沿い、さぬき市寒川町の本村西交差点北側(セブン-イレブン、ナフコ周辺)が「本村遺跡」
以前から土器や瓦など生活の痕跡がたくさん見つかっているんですが…
調査を続けるうちに、普通の集落ではなく、かなり大きな屋敷があったことがわかってきました。
さらに県道を挟んで南側にある石田城跡で同じ瓦が見つかっていることから
本村遺跡は石田城が発展したものだといえるのでは、と新説が浮かび上がってきたのです!
もともと長宗我部氏に支配されていた石田城ですが
生駒親正の時代になり、人の行き来する主要道路「南海道」の物流の一角を見張るため
石田城を手入れした結果、大掛かりな施設になったのではと言われています。
ちょうど1600年の関が原の合戦から1615年の一国一城令までの15年間は
いつでも徳川と対峙できるようにと、世の中は築城ブームに。
それを裏付ける証拠になると注目されているんだそうです。
さぬき市を「城と館」目線で楽しめる
「守る・攻める 城と館」巡回展
自分の住んでいる地域の、過去の息遣いが聞こえてくるようで
歴史が苦手な私でもワクワクしながら楽しんでしまいました!
是非一度足を運んでみてくださいね。
さらに詳しい城と館の話が聞きたい方は
2015年8月29日(土)開催の西岡先生、第2回目の講演会へ。
先生のお話はとってもわかりやすいですよ〜!!!😃
企画展「守る・攻める 城と館」
会場/さぬき市歴史民俗資料館(みろく自然公園内)【地図】
会期/〜2015年8月31日(土)
開館時間/9:00〜17:00(入館は16:30まで)
休館日/水曜日
入館料/無料
お問合先/0879-43-6401
講演会「城跡が語るさぬき市の戦国史」
講師/香川県立ミュージアム副館長 西岡達哉先生
日時/2015年8月29日(土)12:30〜15:00
会場/さぬき市志度社会福祉センター(志度音楽ホールに隣接)【地図】
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