



一昨年の夏、さぬき市内でロケが行われていた時、「遊びの達人」スタッフも何度かロケ地にお邪魔して取材をさせてもらいました。
スタッフは大阪など各地からさぬき市に集結。
グリーンヒル大串に泊まりこみ、朝から夜遅くまで、さぬきうどんを食べる間もなく撮影が行われました。
●撮影から1年半の時を経て映画が完成し、監督の今のお気持ちは…?
(岸本監督)
「やっと地元の方々にご覧いただけるのでとても嬉しいです。
メインになっているのはさぬき市鴨庄白方の漁港。
漁に出るシーンでは船も出してくださったんです!」
●この映画をとることになったきっかけは?
「私のお祖母ちゃんが亡くなり、なかなか立ち直れずにいた時、たまたまネット上で「白方の送り火」の映像を見つけたんです。
この行事が40年の時を経て復活したと聞いて、地域も人も復活するのだと思い、これを映画として残したいと思いました。
●「送り火」を実際に見たり、作品を撮ることで監督のおばあちゃんを亡くした気持ちも少し癒やされましたか?
「はい。送り火やお盆の行事を改めて考えることで、亡くなった人との関係性が変わったと感じました」
(岸本監督)
「一昨年の夏には実際に送り火の場所で撮影が行いましたが、いつも来ている方はもちろん、映画の撮影がきっかけで初めて送り火を見に来てくださった人がたくさんいました。
白方の人は知っていても、さぬき市内の他地域の人、市の職員の方も知らない方がいたんです。
さぬき市は5つの町が合併して1つになったけれど、まず他地域の人にこの行事を知ってもらわなくてはと。
そういった気持ちもあり、撮影を行いました」
(岸本監督)
「わたしが地元の出身ではないこともあり、一番最初にコーディネーターの方を通じて白方に行った時は警戒されました。
でも大阪から何度も通うことで関係性が気づかれてきて『やるなら協力する!』と白方の皆さんに言って頂けました。
心意気のある方が多く、みなさんが協力してくださり、最後は鴨庄婦人会のみなさんが打ち上げもしてくださったんです。
『大阪へ帰る前にごはんを振る舞うから!』と。
ちょうど漁師さんが漁に出る撮影シーンでとれた鯛を捌いてくれたりして…
地域の人に支えていただきながら出来た映画だと思っています」
「これは突然やってくる家族の死を描いた作品で、その死を乗り越えていこうという女性とその家族の物語。
40年ぶりに復活した白方の送り火と、家族の行く先を重ねあわせながら作りました。
この映画を作るにあたっても、悲しみを乗り越えるのに人との繋がりは不可欠。
映画「ある夏の送り火」を通じて、それを感じて頂けたら嬉しいです
映画「ある夏の送り火」完成披露試写会
映画「ある夏の送り火」完成披露試写会イベントページ
https://www.facebook.com/events/1307821035935125/
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