2017年05月26日

志度まちぶら探検隊春コースレポA〜春は鴨部川 前半「歴史がたり」〜に行ってきました

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さぬき市志度と津田の間のエアースポット「鴨部地区」
まっすぐな鴨部川、甑山にむかうまっすぐの道路、整備された畑。

その謎を解き明かす「志度まちぶら探検隊」の春コース
今年は鴨部年〜春は鴨部川 前編「歴史がたり」〜に参加してきました。

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コースの前半(こちらをクリック)は鴨部神社から鴨部地区の商店街をあるき、鴨部川の治水と地形について学びましたが
今日は後半の「鴨部地区が東讃の仏教の中心地であったという歴史の跡」探しをご紹介します!



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コースの後半は鴨部の麦畑の中を歩きながら、鴨部地区にあったというお寺と談議所の跡を巡ります。
国道11号線沿いに建つセシールの鴨部工場南側を歩いて東へてくてく。
麦は黄金色、たわわに実っていました!


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しばらく南へと進むと、鴨部地区が仏教の地であったことを裏付ける石碑が!
石碑の内容は以下のとおり。

「天長元年に弘法大師が石田村にあった極楽寺をこの地に移し、
 南方に来覚寺、北方に長福寺を建立し、下張神社(したばり)を総鎮守とした。
 昌泰3年に朝廷がこの場所に談義所を併設し、仏徒の学問所とした」


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「談議所」とは、お坊さんを養成する学校のようなもので、この石碑のちょうど後ろ側あたりにあったそう。

昌泰3年(900年)には、讃岐の国に7つの談義所が設けられたと言われていますが
そのなかの1つが鴨部にあったこと、弘法大師が3つの寺をこの近辺に建立したことから
ここは東讃の中でも大きな仏教の発展地だったことがわかります。



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談議所の石碑から少し南へいくと…「志太張神社(したばりじんじゃ)」がありました。
さきほどの石碑では「下張」という漢字表記だったのが、何度か変わっているようです。

このあたりは「農業工房かべっこ」さんのイベントでよく通っていたのに
こんな神社があったことに初めて気付きましたー!


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民家の中を抜けて山に登って行くと…
空気が清々しい境内。
現在は鴨部神社の宮司さんによって管理されている神社だそう。


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(志度まちぶら探検隊 ガイドの近藤さん)
「なぜ、鴨部地区の東側にお寺が3つもあったのか?
 それはこの場所が南街道(東海道のようなもの)から少し入ったところだったからと言われています。
 南街道は京都〜紀州〜鳴門〜香川(三木、石田)を通る道で、
 街道から少し入ったところに国分寺や役場がそろっていました。
 お大師様はこのルートを中心に仏教を盛んにしたいという思いがあったのではないでしょうか?」


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なるほど、このエリアはかつて繁栄した幹線道路沿いだったのか〜と納得しながら鴨部の道を進んでいきます。
談議所の石碑から東へ進んでてくてく。


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すると、立派なお寺「長福寺」に到着!!
弘法大師の言われにより建立された鴨部地区の3つのお寺の中で、唯一現存するお寺です。


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国道11号線から「長福寺」の文字を眺めつつもなかなか入ることの出来なかった本堂へ。
ご本尊は千手観世音菩薩で、御詠歌にはこのエリアの地区名「東山」が入っています。

ちなみに長福寺にある木造薬師如来坐像は国指定の重要文化財。
そして1904年の本堂改築工事中には古備前のツボが出土し、中から大量の古銭、木簡が出てきたそう。
木簡は日本で最初に発見されたものであり、古銭は中国銭35種ほどが入っていたのだとか!


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雨の中訪れたまちぶら参加者のみなさんに、長福寺さんからお菓子のお接待もありました♪
本堂もお庭もとても綺麗で、なんとも癒される訪問に…



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「長福寺」さんの拝観後はバスで移動。
国道11号線沿いにある「寿楽殿」さんの交差点に戻ってきました。


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この信号機のたもとにあるのが「鴨部城跡」
鴨部に城があったの!!??


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国道11号線の交差点から、さらに北へてくてく歩くと…
立派な石垣のお寺「蓮住寺」さんに到着!


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金子ご住職が温かく迎えてくださり、貴重な講話を聞かせてくださいました。
鴨部城と周辺のお城の関係や、鴨部の地理治水についていろんなお話が飛び出てきます。

蓮住寺がここに創建される前は「鴨部城」があったと言われています。
鴨部城は源平合戦の時代、岡山、宇野の藤戸の戦いに活躍した鴨部源次が城主となり治めていました。
寒川郡の寒川氏が収めた大窪寺手前の「昼寝城」と鴨部城はお互いの姿がよく見えていたことも有り
寒川氏に属していた鴨部源次でしたが、1532年に鴨部一族が滅びたという話が残っているそう。


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また、興味深かったのは「土偶の話」!

高松自動車道の高速道路工事を行うため、平成3年に鴨部川の近くを掘り起こしたところ、
地表から2メートルほど下に「環遺跡(周りを作で囲み、壕を巡らせた集落)」を発見!
弥生時代の住居の跡や土器が発掘されましたが、同時に刺青入りの土偶も発見!!
『魏志倭人伝』には、大和の人は顔に刺青をしているという記述があり、
これもそうではないか?と当時の新聞を賑わしたのだそう。
(写真の指差している絵:刺青いりの土偶)


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「蓮住寺」さんで興味深い歴史話を1時間聞かせていただき、
志度まちぶら探検隊春コース〜鴨部「歴史がたり」はこれにて終了。

帰り道。「蓮住寺」さんに入る坂道を見ながら…

「昔はこの坂の下まで舟が来ていたらしい」

という話を聞いて、鴨部は水と隣合わせの歴史を持つというのを思い出しました。


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奈良時代、平安時代には今の麦畑のあたりまで舟が海から上がってきていて、
舟の事故を受けてお経をあげたことから「経ケ淵」と呼ばれたところもあったそう。

これまでのどかな田園風景というイメージだった鴨部地区。
その印象がガラリと変わる、なんとも興味深いまちあるきコースでした!


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次回は鴨部川を「川」の面で見つめるコース〜春は鴨部川 後編『川でつながるさぬき市』〜が
2017年6月4日(日)に開催されます!
鴨部川を下流から上流へと登りながら、様々な川の表情を見つめていくそう♪
ご興味のある方はぜひお問い合わせしてみてくださいね♪



「源内さんが育った志度村めぐり」(志度まちぶら探検隊 春コース)
今年は「鴨部」年!〜春は鴨部川 前編「歴史がたり」
開催日/2017年5月6日(土)9:15〜 
参加費/2500円
お問合せ先 090−8970−9352(志度まちぶら探検隊事務局)

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posted by sanuki-asobinin at 12:00| 香川 ☀| Comment(0) | 歴史・文化財 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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