2021年01月04日

大窪寺へ向かう旧へんろ道が国指定史跡に!!@多和


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さぬき市にある四国霊場八十八番札所「大窪寺」。

そこへ向かうへんろ道「大窪寺道」が国指定史跡の仲間入りに!


大窪寺へは山道からアスファルトの道路までいろんなルートがありますが

国指定になったのはその中のたった1.5kmのみ。

どの場所が国指定史跡になり、そこにはどんな風景があるのでしょうか?


大窪寺道の調査をバックアップされているへんろ道の達人

「おへんろ交流サロン」の片桐館長にお聞きしてきました!





大窪寺へ向かうへんろ道「大窪寺道」が国指定史跡になる。

さぬき市生涯学習課からそうお聞きし、より詳しく知りたいと「おへんろ交流サロン」へ行ってきました。


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「道の駅ながお」向かいにある「おへんろ交流サロン」。

ここは四国霊場八十八箇所の結願寺「大窪寺」へ向かう道なりにあり、歩き遍路のおへんろさんがよく立ち寄る場所です。

新型コロナウイルスの影響でしばらく少なくなっていたおへんろさんの数も、昨年10月ごろからは少し戻りつつあるそう。

ただし毎日のように訪れていた外国人おへんろさんの姿はぱったりと途絶えてしまっています。



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歩き疲れたおへんろさんへのお接待はもちろん、

四国霊場の様々な情報や歴史が集約され、展示されているサロン内。

歩き遍路・自転車遍路のおへんろさんには「遍路大使任命書」「自転車遍路大使任命書」も発行してくれます。



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そんな「おへんろ交流サロン」で歩き遍路の方がよく質問されるのが『大窪寺へのルート』。

大窪寺へ向かう道は様々あり、最終的にここで自分にあったルートを選ぶ方が多いのです。


自転車や車の方は「天体望遠鏡博物館」を経由するアスファルトルートが主流。

歩き遍路の方は山や川沿いに残る旧へんろ道に入ったり、

体力のある人は女体山を超えて大窪寺に降りるルートを選ばれています。


そんな大窪寺へ向かうへんろ道のうち、計8箇所・約1.5Kmが、

国の史跡「讃岐遍路道」に追加指定されることが答申されました。


【国指定史跡になるまでの道のり】

さぬき市独自の史跡調査後、『こんなに素晴らしい史跡』が残っているという「意見具申書」を市から国へ提出。

国で審議された内容が第3者機関の「文化審議会」に諮問されたのち、

それに対する答申(答え)が出ることで初めて国指定のための手続きが始まります。


さぬき市では大窪寺道の史跡調査を平成28年8月〜平成29年3月まで行なっており、

その後の意見具申書提出などを経て

2020年11月20日には「文化審議会」が国の史跡「讃岐遍路道」に大窪寺道を追加すると文部科学省に答申したため

2021年春には大窪寺道が正式に国指定史跡に!


実は香川県のへんろ道のうち、

曼荼羅寺道・善通寺境内・根来寺道はすでに「讃岐遍路道」として国指定史跡になっており、

これからは『讃岐遍路道 曼荼羅道 善通寺境内 根来寺道 大窪寺道』という名称の史跡に。

追加指定ができることで、四国遍路の世界遺産登録に向けた動きへの弾みになるとも言われています。




ところで国指定史跡になった大窪寺道ってどんな道?

「大窪寺道」とは八十七番札所長尾寺から結願の大窪寺までのへんろ道のことで、その長さは約15.6km。

道沿いには寺庵や道標、丁石、へんろ墓などの石造物が立ち並んでいます。

 ※丁石(ちょうせき)…目的地までの距離を109m=1丁ごとに表す石標。

 ※へんろ墓…道半ばで行き倒れたおへんろさんのお墓。



そのなかでも国指定史跡になったのは約1.5kmのみ!

しかも細切れの指定史跡なのです!!


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(写真の赤丸の箇所が大窪寺に向かうへんろ道のうち国指定史跡になった8箇所の道)


長い道のりの中でどの部分が国指定史跡になったのか。

大窪寺道の調査もバックアップされてきた達人

「おへんろ交流サロン」の片桐館長にお聞きしました!

(わかりやすくQ&A方式で記載します)


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Q:今回国指定史跡になった「大窪寺道」はどんな道?

A:今回指定されたへんろ道は大窪寺に向かうへんろ道の中でも江戸時代に使われていたとわかった箇所です。

 土の残る道で、江戸時代以来の石造物が残っていて、歴史的な景色をそのまま残している場所が国指定となります。



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Q:なぜ指定箇所が細切れになっているのですか?

A:理由は2つあります。
 まず1つは『国道・県道に切られたから』

 へんろ道はその地域の生活道。

 そこをおへんろさんが歩いているから「へんろ道」と呼んでいるだけのこと。

 バスや車の発展によって生活のための道が広がったりまっすぐ伸びたりして新しい道ができれば、昔の生活道(旧へんろ道)は切れてしまいます。

 もう1つは川沿いや沢沿いの道が大半なので、洪水などでえぐられてしまい江戸時代からの形が変わってきたことが考えられます。

 結果、歴史的な道は細切れに残っているのです。




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Q:「大窪寺道」の文化財としての見どころは?

A:丁石やへんろ墓ですね。

 江戸時代に観光としても流行したおへんろですが、実際におへんろさんには2つのパターンがあり、

 1つは観光できるほど裕福な人たち、

 もう一つは貧しい・口減らし・病気などによって行き場所がなくなりやってきた人たち。

 後者は弘法大師さまにすがる思いで四国に来ていて、その様子が丁石にも残っています。

 へんろ墓は行き倒れたおへんろさんのお墓ですが、自然石から普通のお墓まで様々な形があります。

 同じ時代にできたものでも素材や形が全然違うのが面白いところです。



Q:片桐さんが大窪寺道の中でも面白いなと思ったものは?

A:道沿いのへんろ墓に「21日」としか刻まれていないものがあるんです。しかも2つも。

 お大師さまの命日が21日なので、21日と書いてあればおへんろさんのお墓だとわかるだろうと刻まれたのか、理由は不明ですが…

 こういったものは他の遍路道にはなく、大窪寺道にしかないので面白いなと思いました。

 へんろ墓に関しては多くのお墓を道沿いにどうしてこんなに残せたのか、まだまだ謎がたくさん残っています。



調査の結果わかったこともたくさんありますが、

実はまだ解明されていない丁石やへんろ墓もたくさん。

遍路道が国指定史跡になっても、歴史を紐解く謎の解明はまだまだ続きそうです。



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(写真:国指定史跡にむけて新しく建てた白看板が目印)

そして国指定史跡になった「大窪寺道」はこれからもどんどん歩いてOKとのこと!


(「おへんろ交流サロン」片桐館長)

「大窪寺道の答申後はみんなが歩きたくなるだろうなと思い、道を整え看板もかけました。

 景色も当時のまま残っているところもあるので、そこも楽しんでほしい。

 歴史の道は歩いてもらってなんぼだと思っています。

 文化財としてのおへんろ文化だと理解した上で、たくさん歩いてもらいたいと思います。





「おへんろ交流サロン」で大窪寺道のパネル展示開催中

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今回国の指定史跡に追加された「大窪寺道」に行ってみたい方は、まず「おへんろ交流サロン」へ!

片桐館長が写真付きでまとめた国指定箇所の様子や見どころをパネル展示しています。

地図のプレゼントや道の案内はお願いできませんが、詳しい場所や行き方は教えてくれますので一声かけてみてくださいね。

次年度にはおへんろマップを制作する予定もあるとのことですので、楽しみに待ちましょう!




posted by sanuki-asobinin at 14:27| 香川 ☀| Comment(0) | へんろ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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