8月31日(土)までの夏休み期間中、「さぬき市へんろ資料館」では企画展「武田家 俵札展」を開催中!
お遍路さんをお接待したおうちの方が、お礼にといただいた納札を俵に詰めた『俵札』。
現代ではほとんど継承されていない四国遍路ならではの風習です。
企画展では実際に善根宿をされていた武田家にあった「俵札」と中から出てきた納札を展示。
ここから一体どんなことがわかるのでしょうか?
「さぬき市へんろ資料館」学芸員の植松可奈子さんにお聞きしてきました!
さぬき市前山、「道の駅ながお」の向かいにある「さぬき市へんろ資料館」にやってきました。
館内には四国遍路の歴史や基礎、最新情報が展示・掲示されており、お遍路さんの情報収集の場として活用されています。
八十七番札所「長尾寺」から八十八番札所「大窪寺」に向かう遍路道沿いにあるため、普段から多くのお遍路さんが立ち寄りますが、この日はバスで札場を巡っているみなさんが立ち寄り、展示を興味深く眺めていました。
奥には展示室があり、8月31日(土)までの夏休み中は「武田家 俵札展」を開催中!
ちょっと覗いてみましょう〜〜!!
(現代の納札。巡礼の回数によって持ち合わせる色が違っています)
「俵札」とは、お遍路さんが持ち歩いている納札(おさめふだ)をぎゅぎゅっと詰め込んだ俵のこと。
本来の納札といえば札所に参拝した際に納めるものですが、お接待を受けた際にしてお礼として渡すものとしてもおなじみです。
お接待の頻度が多いおうちでは、いただいた納札をまとめて俵に詰めて屋根裏から吊るすという文化があり、それが「俵札」となりました。
俵札を屋根裏に吊るすことで災いから家を守ってくれると信じられていたのだそう。
今回の企画展では高松市国分寺町にあった武田家の俵札と、その中から出てきた納札を展示しています。
八十一番から八十二番札所を繋ぐ遍路道沿で昭和30年ごろまで善根宿をされていたとみられる武田家とその一帯の農家さん。
俵札の藁を解き、中から出てきたのは3945点もの納札!
天保15年(1844年)から昭和時代のものまでと時代もさまざま。
(武田家に実際に吊るされていた俵札)
北は東北、南は鹿児島までと、全国から四国へ多くの方が訪れていたことがわかります。
特に1850年代のものが多く、特に後半にかけてピークを迎えているのも面白いところ。
そのころが遍路ブームだったのかな?と、その頃のへんろ道の風景を想像してしまいました。
(俵の中に入っていた護符)
中には四国遍路以外の西国巡礼の納札や護符も。
江戸時代が巡礼ブームだったことや、武田家の方が信心深かったことがわかります。
また今回調査した400点のうち、348点が手書きで、52点は版刷りだったそう。
(「さぬき市へんろ資料館」学芸員 植松可奈子さん)
「納札のことを知っていても『俵札』という言葉自体を知らない方がまだまだ多いのが現状です。
屋根から吊るすことで災いから守ってくれる。
この企画展を通して、そんな風習が遍路文化にあったことを知ってほしいと思います。」
四国遍路があるからこそ出来た特別な風習のひとつ『俵札』。
読み解くことでますますお遍路を面白いと感じられるはず!
夏休みの自由研究の題材にもおすすめですので、ぜひ足を運んでみてくださいね。
8月18日(日)13:00からは展示開設会も開催されますのでご注目を!
武田家 俵札展
開催期間/2024年7月6日(土)〜8月31日(土)さぬき市へんろ資料館